世界中の無名ボランティアによって共同で執筆されているインターネットの大百科事典。それがWikipedia。情報に溺れそうになる毎日でひたすら一つの事柄について読み耽ることができるWikipediaはネットに残るオアシスです。
今回はそんなWikipediaマニアのぼくが何度も読み返しているお気に入りから知ってほしい人物たちを紹介します。最高の知的探索をぜひお楽しみください。
海外の人物に関するWikipedia
人生で売れた絵はただ一枚|画家ゴッホ
言わずと知れた天才画家フィンセント・ファン・ゴッホの人生は意外にも不遇なものでした。なんと生涯で売ったとされる絵はたった一枚。今ある世界的な名声は実は死後に獲得したものだったのです。
兄弟から止められても兄の才能を信じ続けた弟テオと夫の死後に夫の作品を世に営業しまくった妻ヨーの存在こそゴッホが獲得した唯一無二の幸運だったのかもしれません。
IQ300越えの悪魔の頭脳|ノイマン
幼い頃より英才教育を受け、ラテン語とギリシャ語の才能を見せた。6歳で7桁から8桁の掛け算を筆算で行い、父親と古代ギリシャ語でジョークを言えた。
引用元「ジョン・フォン・ノイマン」(2023年3月22日 (金) 12:54 UTCの版)-『ウィキペディア日本語版』
もうこれだけで頭脳の凄まじさが伝わるんじゃないでしょうか。人類の飛躍的に進化させるのは無数の凡人ではなくたった一人の天才なのかもしれません。経済学から心理学、物理に心理学にゲーム理論とあらゆるジャンルへ影響を与えたノイマンは数々の信じ難い逸話も残しています。悪魔の頭脳と呼ばれた男の人生の成果をぜひご一読ください。
白い死神|狙撃兵シモ・ヘイヘ
フィンランド生まれの人類最強の兵士シモ・ヘイヘ。スコープなしでの狙撃をこなし確認される戦果は世界最多の542人といわれています。狙撃訓練時には150mの距離で60秒間に16発も命中させたという逸話も。しかし戦場に赴くまでには絶え間ない練習がうかがい知れるのも興味深い点です。天才よりも秀才に近い銃殺王の数奇な人生は2002年まで続きました。
虚言癖の童話作家|アンデルセン
「人魚姫」「マッチ売りの少女」などで知られる世界的詩人ハンス・クリスチャン・アンデルセン。若き頃の彼の夢は実はオペラ歌手でした。
そこから人生は二転三転してゆき生来の虚言癖が思わぬ形で実を結びます。切り絵が得意で恋愛下手、眠る際には死んでませんとメモに残した愉快で繊細な男の生涯をぜひご賞味あれ。
男で生まれ女で生きたスパイ|デオン
シュヴァリエ・デオンは男性として生まれ女性として亡くなった謎多き人物。やや信憑性に欠ける情報はあるものの彼(もしくは彼女)はルイ15世直下のスパイとして活躍していました。マリーアントワネットからドレスが贈られたり彼の性別について賭けが勃発したり、世間を惑わせ続けたシュヴァリエ・デオンとは一体どのような人物だったのでしょうか。
愛すべき嘘つき|サッカー選手カイザー
カルロス・カイザーは2011年頃までブラジルでプロサッカー選手として知られていました。しかし26年のキャリアで彼が出場したのはたったの一試合。巧みな話術とハッタリだけでサッカーをせずにプロサッカー選手として過ごし続けていたのです。ネットもスマホも普及していない時代だからこそ成しえたオオカミ少年も顔負けのとんでもない男のお話。
不遇の星のパイロット|カタヤイネン
なんだかついてないなって日ありますよね。空軍に従事していたニルス・カタヤイネンは飛行機に乗る日すべてがそんな日でした。とてもついていない男の嘘みたいに幸運な航空日記はWikipediaにて。
驚異の胃袋を持つ男|超人ロティート
ミシェル・ロティートは幼い頃から重大な異食症を患っていました。しかし彼の超人的な肉体はその異食をものともしません。サラダのようにガラスを食しワインのように鉱油を飲む彼は異食パフォーマーとしても世界中を飛び回ります。世界で最も奇妙な食事をした男としてギネス認定されたときの逸話もぶっ飛んでる。
小人症であり巨人症|アダム・ライナー
顕著に身長が低い小人症と顕著に身長が巨人症。歴史で唯一その両方にかかった男がアダム・ライナーです。ライナーは18歳から21歳の間で急激な成長を遂げましたが要因は腫瘍だったともいわれています。人体の不可思議さを象徴する最も変化した身長のお話。
元祖シリアルキラー|テッド・バンディ
甘いマスクで頭も良くマナーもスキルも兼ね備えた連続殺人鬼。それがテッド・バンディです。
小さな失恋から始まった彼の冷酷で非人間的な犯行の数々は吐き気を催すほど。しかし自分で自分を弁護する賢いシリアルキラーの人生は現在でも人々の興味関心を惹きつけてやみません。これだけ残忍な犯行が知られてなお結婚までしているというのだから人間的魅力にあふれていたのは間違いないでしょう。だからこそ死刑判決の際に裁判官が彼に語り掛けた言葉には考えさせられるものがあります。
陽気なピエロの正体|ジョン・ゲイシー
全米を震え上がらせた殺人鬼ジョン・ウェイン・ゲイシー。彼の人生は生まれた時から過酷なものでした。被害者として生き抜いた幼少期から出世し名誉を手に入れ習慣化していく殺人の日々には言葉を失います。かの有名な死刑囚の最期の晩餐で彼がリクエストした食事に見える彼の欲望とは一体なんだったのでしょうか。
伝令係から始まった物語|ヒトラー
歴史の大罪としてさまざまに揶揄されるアドルフ・ヒトラー。その冷酷さはすでに知られるところですがWikipediaでは芸術家を目指して美術大学を受けていたり闘病中の母に寄り添い続けたりした彼の姿も垣間見られます。
低い階級のまま第一次世界大戦を終えた彼がいかにしてドイツ史上類のない権力を獲得したのか。ゆっくりと着実に成り上がっていく様子は結末を知る者として鳥肌が立つばかりです。
国内の人物に関するWikipedia
”非常”に遭った稀代の美女|伊藤初代
伊藤初代は川端康成の元婚約者。和服に白エプロンで女給をしていた姿に川端が心底惚れこみ交際が始まりました。しかし婚約まで進んだはずの二人は初代からの婚約破棄をきっかけに突然別れることに。納得できない川端はあの手この手で初代の真意を探りますが、非常が起きたと伝える彼女の本音はわかりません。
美しく可憐で唯一無二だった初代の存在は今日の川端文学に大きな影響を与えたといわれています。非常をめぐる真相も含めてかなり読み応えのあるWikipediaです。
音吉|ジョン・マシュー・オトソン
1819年に生まれた音吉は1832年に江戸に向けた船の乗組員として鳥羽を出港します。しかし船は遭難漂流。14ヶ月以上彷徨った先に辿り着いたのはアメリカ北西部の岬でした。インディアンの奴隷となりイギリスに売り飛ばされ日本に帰れそうと思ったら母国は鎖国。イギリスに初めて上陸し始めて帰化した日本人のあまりにも数奇な人生はぜひWikipediaで。
不遇をはねのけた不屈の俳人|富田木歩
富田木歩の人生は1897年4月14日に始まりました。しかし翌日の高熱により両足は麻痺、貧困だった家族はさらに路頭に迷うことになります。そんな不遇に遭っても自作の木製の足になぞらえて生まれた詩人木歩の生涯。激動の26年間は一気読みしてしまう凄まじさです。
盲目の三味線弾き|小林ハル
小林ハルは日本で最も有名な瞽女です。瞽女とは三味線一本で村を唄い歩く盲目の女性芸人を指します。
生後間もなく盲目になったハルは将来を危惧した両親により5歳から三味線を習います。非情な仲間から人格者な師匠まで周囲に疎まれては助けられていく波瀾万丈な人生はもはやWikipedia文学といっても差し支えありません。
脱獄囚の裁判官|渡邊魁
脱獄してそのまま判事になった嘘のような本当の話。しかも判事になるための登用試験は渡邊魁自身が受けてパスしたというのだからますます驚きです。詐称が発覚してからの経緯もおもしろい。内容は短めなのでWikipediaでサクッと読みたいときにおすすめです。
風船おじさん|鈴木嘉和
「どこへ行くの?」「アメリカですよ」
鈴木嘉和は1992年、風船つきのゴンドラ・ファンタジー号でアメリカに向かって旅立ちました。その後の消息はいまなお不明となっており生存しているかどうかも分かっていません。無謀で大胆な男性の奮闘記と残された家族のリアルなその後が対照的なWikipediaです。
嘘か誠かWikipedia|オカルト的な人物たち
2036年から来た男ジョン・タイター
2000年アメリカの掲示板に突如書き込まれた不可思議な書き込み。胡散臭い内容に最初こそ誰も相手にしませんでしたがその話はあまりにも現実味を帯びていました。2001年3月に任務完了の書き込みを終え消え去ったジョン・タイターなる人物は何者か、オカルトとしても社会実験としても興味深いWikipediaです。
不老不死のサンジェルマン伯爵
ヨーロッパ史上最大の謎の人物
17世紀もしくは18世紀のヨーロッパに生存していたとされる人物。誰がいつ会っても姿かたちは変わらずあらゆる才能に長けていたとされるサンジェルマン伯爵は信じがたい伝説と伝記のみを数多く残しています。没年も分からなければ消息も不明。日露戦争でもいたなんて噂もあるほどのロマンあふれる人物です。
食人族の長ソニー・ビーン
アレクサンダー・ソニー・ビーンはスコットランドにいたといわれる食人一家の頭。労働を嫌い未来の妻アグネスと出会ったことでおぞましい生活を思いつきます。近親相姦でメンバーを増やしては完全犯罪をこなした嘘のような一族のWikipedia。とはいえいまや彼らも現地の観光産業になっているのというのだから人間って怖い逞しいですね。
なんちゃっておじさんはきっといる。
最後に紹介するのは1970年代に登場して一躍世間の人気者となったなんちゃっておじさん
創作か事実か真相はわからないままですがこうした人物に日本中が湧きたったというのは紛れもない真実。ラジオやテレビで紹介されるとたちまち目撃談が集まったのはこうした人物がいてほしいという願いの表れでもあるのかもしれません。Wikipediaだからこそ知れるくだらなく温かい歴史のどうでもいい1ページ。これからもどんどん発掘していきましょう!